2009年06月27日

合掌

先日6/21深夜、川崎で義父がなくなりました。

享年69歳、末期の肝臓がんでした。

昨年夏に、もともと悪かった腎臓の精密検査中に

肝臓がんが発覚。しかも”ステージ4”との所見

その日のうちに病院側は本人にその旨を「告知」

手術の日程をたんたんと決められ、なにがなんだかわからない状況で

義父は家路につき、家族へ報告

驚いた義母は、沖縄の私達のもとへ連絡してきました。

病院側の対応(?)への疑心から、私達がおちついて対応をと

あらためて義父本人の気持ちと意思の確認をしたところ、やはり手術をして

厳しいと思われるがん治療への懸念があり、再考したいとのこと。

手術の日程についてあらためて義母を入れて再度病院側と話をすることと

セカンドオピニオンの準備を義母へ薦めました。

そして義父が1週間ほどで出した結論は、

 ・ 体の自由がきく間はできるだけ働きたい。

 ・ そのため具合が悪くなった時点でホスピスに入る

という、癌との闘いを放棄する方向の結論でした。

10代後半から60年近く寿司職人一筋で働いてきた義父は

経営状況の悪化と、跡継ぎの問題もあって4年ほど前に自分の店

をたたみ、すでに年金生活に入っていましたが、それでも体が動く間は

働きたいという意思が強く、病院での軽作業のアルバイトを続けていました。

職業柄、平時から酒量・喫煙が多く、肝臓がんは「なるべくしてなった」ような

ものですが、がんが判明してからは、酒を断ち、甘いものを好んでたべるように

なりました。

そして先月、体の状態がおもわしくなくなり、アルバイトをやめて自宅療養に入りました

何度か電話し、元気な声を聞いていたのもつかのま

6/12になって、自ら病院への入院を決定

それから1週間して、腎臓の機能が停止し、尿毒症の状態に

予断を許さない状態になったとの連絡を受けた翌日、義母に看取られて

義父は逝ってしまいました。

大変つらいことに、別件の用事もあってあわせて上京する予定だったことが災いして

私達は、義父の最後に立ち会うことができませんでした。

沖縄との距離がどんなにはがゆかったか。。。

昨日、通夜、告別式を終え、急ぎの事務毎を手伝って

私と娘だけ先に帰ってきました。

ひとりになって考えれば考えるほど、後悔の念があふれてきます

娘や孫が近くにいないということが、病人だった義父にとって

どれだけさびしいことだったかを。。。

実の両親がすでにいない私は、比較的自由に自分の居所や仕事を選択できる立場でしたが

結局親の生まれ育った沖縄で生活し仕事をしています。

そればかりか望まれていた寿司屋を継ぐ意思がないことも日ごろから申し訳なく思ってきました。

せめて、いまの沖縄での仕事を放り出してでもこの義理の両親のそばで生活をする

べきではなかったのかを改めて考えています。。。

昨夜、義母とその話をして、沖縄へ移住する意思がないかを涙ながらに確認しましたが

やはり、生まれ育った土地を捨てられないとの答えでした。

残された義母のことを考え、今後私がどうすべきかも答えをだす必要にせまられています。





タグ :葬儀義父

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